アツモリ君の雑記

アツモリ君が日々思ったこと,感じたことを綴る雑記です

ポジティブな言葉を流行語に!

news.yahoo.co.jp

 なんだかんだ毎年楽しみにしちゃっているんですが、年々流行語ここではじめて見る言葉が増えていきます。。

 今年は例年に比べてドラマやお笑い芸人のギャグなどが極めて少ないように感じます。“だっちゅーの”“じぇじぇじぇ”などやっぱりTVっ子としてはエンタメからの言葉が多く入っている都市はTVがおもしろかったような気がします。

 また個人的にはスポーツ等で活躍した方のコメントの受賞も好きです。

有森裕子さんの“自分で自分を褒めてあげたい。”北島康介さんの“ちょー気持ちいい”はまさに流行語に相応しい言葉だったと思います。

 エンタメ回や、スポーツ界のワードが目立つということはそれでけ日本が平和だったり、活気があったという気がしてきます。“ちーがーうーだろー”みたいな言葉が入っているろとなんだか情けなくなります。。

 私がこの中から大賞を決められるのであれば、さっきも言った通り、個人的には今年の日本は賑やかだった、活気があったと思わせてくれる言葉が好きなので、“藤井フィーバー”ですね。どんな世界でも若い世代の活躍は心躍らされます。また今年は“ひふみん”の引退もありました。今までその世界を支えてきた人達の引退は寂しさもありますが、それと同時に感謝や尊敬の気持ちも込み上げ、こちらも満足感に似た感情を感じることが出来ます。

 時期が違えば“アメーバTV”なども候補にあがっていたのではないでしょうか。凶悪事件の言葉なんてこれまでも入ってないですし、もとも選考基準にはならないでしょうが“座間市”“首吊りし”なんて言葉もかなり衝撃を与えたワードではないでしょうか。

 来年はサッカーW杯もありますし、日本の活気、元気、活躍を表す言葉が並ぶことを期待しています。

SMAPというグループの大きさ

news.yahoo.co.jp

 

 さすがに72時間すべてを見ることはできませんでしたが、ちょくちょく覗いていました。グループが解散するというだけでニュース速報が流れたり、政治家がコメントするようなアイドルグループは数少ないでしょう。小学生のころ月曜夜10時といえば♪ロート、ロート、ローート・・・♪のお馴染みのオープニングテーマで始まるスマスマを観るのはテレビっ子の私にとって楽しみの一つでした、中学・高校となるにつれて観る機は減っていきましたが、SMAPというグループの大きさは常に感じていました。

 SMAPは各々がそれぞれ活躍していたのでスマスマ以外ではあまり5人が揃ったところを観なくなってきていたような気がします、そんな時、ソフトバンクのCMでSMAP人がマリーナべイサンズの中を練り歩く姿を観た時、ものすごい豪華で軽く衝撃を受けたのを今でも覚えています。

 解散騒動が報道される前にスマスマの企画で5人旅の出かけるという放送では本当に仲良さげで解散騒動の際に出た不仲説など全く感じさせないものでした。もちろんあれだけの騒動で揉めた場面もあったかとは思いますし、あれだけ多きなグループが解散するとなれば当事者間だけでなくたくさんの人を巻き込んだはずなので問題も多くあったとは思いますが5人の関係は報道されたようなギクシャクしたものでなかったと私は信じています。

 今回のホンネテレビのフィナーレの72曲ライブでも放送後から選曲が話題になっており中居君や木村君に向けたメッセージだなどの憶測も飛び交っていますが私はこれを信じたいです。信じています。

 放送中、ところどころ見られた三人への制約の数々。SMAPの名前は言わない、曲も使えないなどジャニーズ事務所の大きさや怖さ、TV業界への違和感を感じましたが、それと同時にあれだけ豪華でたくさんのゲストが応援してくれているのはあの3人が今まで築いてきた功績や人徳によるものなんだろうなと感じました。

 いろいろなしがらみがある中、アメーバTVという媒体を利用したのは大成功だったのではないでしょうか。おそらく頭のいい人たちのアイデアが凝縮された放送だったのではないかと勝手に想像しています。アメーバTVにとっても今回の放送でユーザーも増えこれ以上ない宣伝になったと思いますし、3人にとっても一つの活躍の場所を作ることができ、ファンにとってもまた三人の活躍を応援できるというWIN-WIN-WINの企画だったのではないでしょうか。

 個人的には5人それぞれを応援したいのでいつか5人、そして森君を含めた6人揃った姿を拝むことができるよう祈りながら応援していきたいと思います。

アツモリ君奮闘記①

 私アツモリ君は自ら学習塾を立ち上げました。今もまだまだ起動に乗ってきたとは言えませんがこれまでの苦労話や、これからの奮闘の様子を記していきたいと思います。

 

まずは学習塾立ち上げに至るまでの過程をご紹介していきます。

 

 もともと児童教育に関心があり、教育に関する仕事に携わっておりましたが、教育の現場には正解のない問題や自分の正義を貫くことができない場面が多々あります。そんな環境の中、現場の一人ひとりが責任や覚悟をもってぶつかり話合い、落としどころを見つけていけるような環境はなかなかありません。上の者の都合や話し合いにすら応じてくれない同僚、違う意見をぶつけ合った末出た結論なら受け入れられますが、それすらできない空気。特に教育という人を育てるような仕事でこの環境は駄目だ、もっと自分の想いを実現できる環境で働きたいという思いに至り、それなら自分自身で立ち上げてしまえばいいと一念発起し学習塾の立ち上げを決意しました。

 

 前の仕事は塾のように学習指導をメインとするものではありませんでしたが、勉強を人に教えるのは好きでしたし、塾講師の経験もあったので学習塾という決断をしました。

 学習塾の立ち上げをきめてまず決めなければならなかったのは塾の形態です。学習塾の形態は大きく2つに分けられます。個別指導と集団授業。今ではさらにタブレットを使ったり映像を使ったりと様々な形態の塾が現れていますが大きく分ければこの2種類でしょう。私が目指したかったのは、もちろんメインは学習指導ですが、それだけでなく、小中学校という子ども達の成長にとって最も重要な時期に関わり、すこしでもその手助けをできるような塾。そんな理由もあり、個別指導の形態に決めました。さらにここで以前の職場でお世話になったデザイナーの方にお願いし、塾の外観、チラシ、名詞などのお願いをしました。開業は4月の新学期開始の時期を目指しており、この時点で12月。デザイナーの方と相談をし、1月中旬までに塾名・物件・料金などの詳細を伝えるという流れになりました。

 まずは物件探し。塾の物件ということで、私が選考基準にしていた条件はー①大きい小中学校がある②2つ以上の中学校からの生徒募集が期待できる立地③目立つ④静か⑤児童や保護者が不快に感じる店舗が近くにないーの5つです。なかなかすべての条件に合う店舗は見つかりませんでした。特に②を優先するとかなりエリアげ限定されてしまうので、妥協点はここしかありませんでした。そして範囲を広げていくうちに1つの候補を見つけました。市内で最も大きい中学校の学区にあり、大通りに面しているので目立つ。周りに多店舗もない、多少車の音が気になるが許容できるレベル。それまでで最も条件にあった店舗だったので仮抑えをしました。その後もこれ以上条件に合う物件は見つからなく、仮抑えの期限も迫っていたのでここに決めようと思い不動産屋に電話をかけました。改めて資料に目を通しながらやり取りをしている最中、あることに気付きました。なんと店舗の裏手が工場。焦って不動産屋にストップをかけ、現場へ確認へ。前回内見に来た時は祝日で工場が休み。さらに工場は小さく、店舗に隠れて前からは見えませんでした。もちろん、資料にしっかり目を通したり、店舗の外を1周して確かめていれば気づいていたはずのもので、完全な私のミスです。そして改めて店舗へ行ってみるとこの日は工場は稼働していました。店舗の中へ入ってみると、ガシャンガシャンと機械の音、それどころか地響きのような振動まで伝わってくる始末・・・また一からやり直しです。

 

この時点でデザイナーさんと約束した期限まであと2週間・・・。

 

 

アツモリ君奮闘記②に続く

MY BEST COMIC 名探偵コナン

今回は私の大好きな漫画【名探偵コナン】を紹介したいと思います。

www.conan-portal.com

 20年以上続く超大作になってきました。初期の頃は私も子どもで、コナンをTVアニメで見て怖くなり夜寝れなくなったこともありました。特に怖かったのが漫画の中で犯人を描写する真っ黒の影。その中でもコミック3巻の旗本家の事件と、5巻の山荘包帯男殺人事件。今読み返す時際もこの二つの話は飛ばしています。そんなアニメに怖がっていた私も三十路を過ぎたのに漫画の中ではまだ半年しか経過していないとか…。季節が何度も移り変わっているようですが小さいことは気にしないでおきましょう。

 名探偵コナンは毎年映画も公開していて、これもまた面白いです。アクションの無理のある演出や爆破の過激さは見ていて吹き出してしまうこともありますが見ごたえは申し分ありません。映画のシリーズで言えばオススメは“瞳の中の暗殺者”。ストーリーの本筋とはずれていますが鈴木園子の毛利蘭への友情に感動します。

 連載の方では、私は何故か普段“迷”探偵と言われている毛利小五郎が活躍するストーリが好きで9巻の同窓会殺人事件、17巻のスキューバーダイビング殺人事件辺りがおすすめです。

 さて、名探偵コナンといえばやはり黒ずくめの組織との対決が一番の醍醐味でしょう。最近では組織NO.2のラムの影がちらちらしているようですが最近のストリーは忙しくて追いつけていません。。一番気になるのは組織のTOPで“あの方”と呼ばれる人物の正体。これを考えるのが一番の楽しみでしょう。作者の青山先生も結構な言いたがりな人の様でインタビューの中でヒントをぽろぽろ出して関係者を困らせているという話も聞いたことがあります。しかしこのヒントがあの方が誰なのかという興味と自分で推理してやろという意欲を掻き立ててきます。個人的には阿笠博士説が有力かと思っていましたが青山先生自身で否定されていたので考え直していますが怪しい奴がたくさんいて絞りきれません。

 大好きな漫画で自分もあれこれ考えたい身からすると一つだけ言いたいことがあります。それは漫画の世界での変装が完璧過ぎること。いくら考えて一つの結論に達しても結局は○○の変装でしたですべてが崩れ去るのは少々寂しいです。新出先生=ベルモットは衝撃でした。しかも途中で本物の新出先生と入れ替わっていたとは…さすがに気づけません。もちろん漫画なのでリアリティがどうのこうの言うつもりはありませんし、いい意味で期待を裏切ってくれるストーリーを望んでいるのですけどね。

 また名探偵コナンがこれだけヒットする理由は「敵が魅力的」ということが挙げられるのではないでしょうか。組織の代名詞的存在のジン。冷徹・残虐・非道etc悪に関する言葉しか連想できない存在ですが個人的にはなぜかとても魅力的に移ります。もちろん改心してほしいとか、実はいい奴パターンなんて期待してはいないですし最後まで悪であってほしいと思います。全くの素人の個人的な意見ですが“敵が魅力的な作品はヒットする”。この法則にあてはまる代表的な作品ではないでしょうか。

 あの方の正体がとても気になり、早く全貌を知りたいという気持ちと、全貌がわかって話が終わったら寂しいという相反する気持ちを抱いているのは私だけではないのではないでしょうか。とりあえずまだまだ続きそうなのであーでもないこーでもないといろいろ考えながら読み続きていきたいと思います。

日本のサポーターは“甘い”のか?

headlines.yahoo.co.jp

 次回ロシアW杯の出場も決め、今や日本はW杯に出て当たり前。海外で活躍する選手も何人もいて当たり前という時代になりました。しかし日本のサッカーにおける歴史は強豪国と比べればはるかに浅く、この記事のドーハの悲劇、そしてジョホールバルの歓喜という歴史を作りながらアジアのW杯常連国としての地位を確立していきました。私自身も小さい頃からサッカーをやっており日本サッカー界の成長を見ながら私も成長してきました。三浦知良選手は当時の日本サッカー界の代名詞的な存在でした。このころ流行っていたのが、その人気でポテトチップスの廃棄が社会問題にもなったJリーグチップス。私もこのカードで三浦選手のカードを当てるのが夢でした。とうとう引き当てることはできませんでしたが…。

 さて日本のサッカー界とともに歳を重ねてきた私ですが、この記事には考えさせられるところもありました。これはサッカーに限らず日本という国全体の話ではないかと思います。日本代表がドーハの悲劇でW杯を逃しても確かにサッカー強豪国とちがい選手達に批判が集中することはありませんでした。それが日本サッカー界の成長を妨げいるという意見もあります。強豪では、空港で選手にトマトがぶつけられたり、連日メディアで叩かれたりと不甲斐ない結果を残した場合相当なバッシングを受けます。日本代表でも1998年W杯の際、空港で城選手が水をかけられ、生卵をぶつけられるという事件もありましたが、総じて言えば負けた選手、失敗した選手に対して寛容だといえるのではないでしょうか。そしてこの寛容さが甘い”と捉えられ、成長を妨げられているという捉え方をされているのです。しかし私は一概にこうは言えないと思います。日本人の気質として和を重んじる・おくゆかしさなどが挙げられますが、私はこの日本人の気質が好きで誇るべき気質だとも思います。確かに海外ではサポーターがバッシングや激しいゲキで成長させてきた例があるかもしれません。しかしそれはあくまでその国柄にあっていたからという考え方もできると思います。同じ作物を違う国で育てようと思えばその国の気候や環境にあった育て方があるようにスポーツや人を成長させていく方法も国それぞれなのではないでしょうか。日本のサポーターは実際、応援で使ったゴミ袋でスタジアムのごみ拾いをしていくという新しい文化を生み出し、世界でも称賛を受けました。それと成長とが直接つながるとは思いませんが、サポーターが失敗に寛容=成長を妨げるにはならないのではないでしょうか。

確率のおはなし

 前にも言いましたが私は個人で学習塾をたちあげました。そこで中学3年生に数学の確率を教えていました。学生の時から確率は得意でしたが、分からない子にとっては難しい問題だとは感じていました。ある問題を説明したかったので「10個のボールが入った袋がありそのうち、一つだけ金色の当たりのボールがあります。10人が順番に一人一つずつそのボールを引いていき、誰かが当たりを引いたらその時点で終了。あなたは1番目に引くか10番目に引くか選ぶことができます。あなたはどちらを選びますか?」と質問を訪ねるとほとんどの子が1番目を選びました。【失敗した後悔よりやらなかった後悔の方が大きい】なんて名言じみた言葉がるくらいですし、10番目を選んで負ける場合、自分は引くこともできず負けることとなり、1番目に引く場合は例え当たりが引けなくてもチャレンジすることはできるから・・・という理由なら納得できますが、もちろん子どもたちは、単純に1番目の方が当たりを引く確率が高いと思っているのです。

 当たり前ですがこの場合、どちらを選んでも当たりを引く確率は変わらず1/10ですね。しかし子どもたちはそれが感覚的には理解できないようでした。

 

1番目で当たりを引ける確率=1/10

 

10番目で当たりを引く=9番目までの人が全員はずれを引く

=9/10×8/9×7/8×6/7×5/6×4/5×3/4×2/3×1/2=1/10

 

と絵を用いながら説明すると納得してくれました(中にはよくわかっていない生徒もいましたが)。大人になれば、くじは何番目に引いても当たる確率は同じと感覚的に理解できるのでしょうがそれを感覚的に理解できていないこどもに教えるということは難しいなぁとあらためて感じました。

 “マイナスを引くとどうしてプラスになるの?”“ひし形の面積はどうして対角線×対角線÷2で求められるの?”日々説明の難しい質問と戦っております。自分も小さい頃は理屈で理解できないとすっきり理解できないタイプの子どもだったのでできるだけ簡単に明快に説明するよう努めています。

 と、確率について考えていたら【モンティ・ホール問題】を思いました。知っている方も多いとは思いますが、昔はこういった問題が大好きだったのでまた機会あれば紹介していきたいと思います。

教育者の自覚と責任

福井14歳自殺 教師指導が要因 | 2017/10/15(日) 22:34 - Yahoo!ニュース

 これは同じ教育者として許せないニュースですね。先日教育と体罰についての記事をあげましたがこれは次元が全く別。愛の鞭はあくまでも愛情をもって、なぜこの子のために鞭が必要であったかを教育者自身が自信をもって説明できるようでなければならないものだと思っています。それができない鞭は愛の鞭ではなく、ただの感情任せの鞭に成り下がってしまうのではないでしょうか。

 以前、【さよなら、小津先生】というドラマで体罰を行った先生に向かって小津先生が言った“それは愛情ではなく感情だ”という言葉。2001年のドラマで当時私はまだ〇学生で将来教育の道に進みたいと思ってもいなっかたのですが、なぜかその言葉が今でも忘れられないでいます。教育者も人間なので、生徒・児童に対して感情を出してしまうことあると思います。しかし私個人はそれはそれでいいと思っています。大人に対しこういことを言えばば嫌な気持ちにさせる、こんなことで喜んでくれるということは勉学とはちがう大切な学習であると思うからです。ただ、手を出したり攻撃的な言葉を使う場合には前述したとおり、愛の鞭なのかただの武器であるかの違いが大切なのではないでしょうか。もちろんその判断や基準が間違っていることや、ずれていることもあるでしょう。しかし、このニュースにはそんな曖昧な基準への葛藤や愛情は見え隠れしておらず、感情のままに攻撃しているようにしか思えません。

 体罰に対する世間の目が厳しくなったり、モンスターペアレンツなどと呼ばれる保護者の存在など、教育者にとっては難しい環境・時代となってきているのは事実でしょうが、教育者の不祥事や事件、今回とりあげたようなニュースなど教育に携わる者の自覚や責任が薄れているのも確かなような気がします。